TETSURO KADONAGA
木鳥 ことり
早春に恋う
メジロと藪椿
2018年5月制作
・メジロを彫る【表】
何か新しい試みをしたいと、まあいつも思っているのですが、その日よく利用している木材屋さんに椿の角材があることに気がついた。
少し固そうだけれど、とても緻密な材質で気に入って買って帰り削ってみると粘りも申し分ない。
調べてみると黄楊や棗のように根付にも使われると。
これは楽しみなのでさっそくメジロを彫る。
気持ち良く彫れる。
熱中するに従いメジロについての色々なシーンが浮かび上がってくる。
メジロは10センチちょっとの小さな鳥でその細かな羽を表現するのにこれほどうってつけの材は無い。
なぜメジロ?今さら!
メジロと言えば椿!椿と言えばメジロだ!冬の厳しい日本海とはいえ暖流の洗うこの辺り古出雲ではそうときまったものなのだ。
あなたはメジロの口を見たことがあるだろうか?
緩やかに下に曲がるその形は花の蕊をこじ開け蜜の在処を捜し、先の細かに分かれた舌、毛細管現象でその蜜を吸い上げる、蜜吸いの口。
冬、ともすると雪の激しく降りつむこの地で、暖かな海水に育まれた藪椿の赤い花はメジロたちにとって生命線とも呼べる拠りどころになる。
一方で何故か虫の居ないこの時期に咲く藪椿はメジロたちの口で受粉させるしか命を繋ぐ術をもたない。
鳥媒花。メジロと藪椿。暖流が形作る日本の自然の稀有なシステム。
以前、対馬海流洗う美保関灯台のもとで春、渡り鳥の調査をしたことがあって、カスミ網にかかる小鳥の中にメジロの姿はよく見られた。
カスミ網にかかった鳥は弱らぬよう、とにかく手早く木綿布の袋に集められる、袋に入って周りが見えなくなると鳥は落ち着くのだ。
そして集めた袋、色々な種類の鳥がはいった袋から種類ごとに取りだすんだけど、ベテラン調査員のIさんは袋の上からそっと取りに触れただけで鳥の種類が判る。
そうだよ、門永君!鳥はそっと触れただけでわかるものだ。色を付けなきゃ何だかわからんものを作っちゃなんない!
彼の言葉、その時の体験はいまだに僕の鳥作りの根っこになっている。
番号の刻まれた銀色の足環を付けて鳥を山に戻す。
こののち何処かでこの鳥がまた捕獲されたら、鳥研(山階鳥類研究所)に足環番号を問い合わせるとね、
ああ美保関の灯台の下で一度捕まったやつなんだと、点が線となり鳥の渡りのルートが少しずつ解明される。
まえにここで放されたルリビタキが10日後に利尻で再捕獲されてね、Iさん曰く。
北海道の!スズメほどの小鳥が、凄い!
手の中のメジロの羽はとても鮮やかな明るい草の色で微細で軽く、光がさすと銀色に輝く。
するとどうだ、今、我に返ると、僕の手で椿の材に細かに刻みつけられるメジロの羽も、光がさすと銀色に輝く。
緻密で粘りのある椿の木肌に整然と細密に並ぶ羽の起伏を日に向けると流れるように輝くんだ。
あとはその輝きを、椿の木肌の美しさを消さないように鮮やかな緑に染め上げるだけだけれど、従来の着色では不可能だったので思い切って色付けを大幅に見直すことにした。
彫りあげられた椿の木肌の質感を殺さぬように顔料を、染料を選ぶ、それもまた楽しい仕事で。
その後、
足環を付けられたメジロは精一杯羽ばたいて林の中へと飛び帰って行く。
僕が彫り細かく刻みつけた羽で、このメジロは飛べるのか?
飛べるさ、見ていてご覧
この羽は空気を捕まえ、送り、流れに乗り、浮かぶ。
この鳥は羽ばたき、飛び、椿の藪の中を器用に抜け、
蜜を吸い、番い、卵を抱き、メジロとしての生を全うするのに十分な姿態だ。
そのうえ彼にはこの地のメジロとして生れ出るために最も必要な資質を与えることに僕は成功している。
確かにこのメジロは椿の木でしかないだろう、いや美しい椿の木だ、見ればわかる。
だから、
だってそうだろう古から出雲のメジロは椿の蜜を糧に生きてきたんだ。
出雲のメジロを創っているのはこの地の椿。
そう、彼は椿の木でできているんだから。
結果は上々、
これから僕の作るものは変わってゆく。
黄泉の黒という名の鮮やかな赤い椿咲く林の中、
メジロと椿は出会い、ともに演じ、育ち、やがて何処かへと飛んで行く。
彼らの紡ぎ出す流れに誘われるように、
僕のつくる花鳥の世界は江戸、平安より更に深く、
古、出雲の世へと渡ってゆく。
門永哲郎の仕事
作り出すもの、例えば鳥だとしたら、とにかく正確に制作すること。
くちばし、羽、脚、顔つき、しぐさ、すべてその個体がこれまで生きていく上で獲得してきたもので、その姿を見れば彼がどこでどう暮らしてきたか、どの空を森を飛んできたのかわかるのだから、とことん正確に作る。
そのうえで、私小説のような彫刻家である僕はその鳥と出会った場面を掘り下げたとき、その背後に何かしらストーリーが潜んでいることを好む。
彫りながら、描きながら、念仏のように其のストーリーを唱え続けることにより作品にその場の空気間まで移しこめると信じているふしがある。
その上で僕は新しい木と出会いまた彫り始める。
藪椿を彫る【裏】
「黄泉の黒」という黒い椿、とても色の強い藪椿の自然品種がある。
つい数年前に、出雲大社から一山越えた鷺浦、日本海に面した小さな港の山で発見されたと聞いて、1月、まだ少し雪の残る日に見に行った。
それにしても黄泉の黒という名前は凄い、自分が生まれ育ち、今も住んでいる境港が、その昔ヨミ島という名の島だったからというわけではないのだろうが、この地に住む者はやはり水木しげる先生をはじめ黄泉に縁のある一族になるんだろうか?
(余談ではあるが、僕と水木先生は菩提寺が同じで、僕もご幼少のみぎり、水木ファンならご存知のあの地獄絵図で祖母から脅か、いや教育されたくちである。)
黄泉島から中海を南へ下ると揖屋の港、揖屋神社はイザナミの命を祭った神社でそのつい南にはあの黄泉の比良坂、イザナギノ命が黄泉に下ったイザナミノ命から這う這うの体で逃げ現世に帰った場所がある。
先日これも作品のロケになるかと訪れると、そこから山道が伸び、二股に別れ片や揖屋神社、片や遠く広島の県境吾妻山の名が、イザナギノ命が妻の名を呼び黄泉の国へと降りて行った山の名がしるされていた。
試みにその尾根づたいの道を吾妻山にむかって少し歩くと、ああ、やはりここも藪椿の非常に多い山で、その先は倒木のためとおれぬようになっていた。
鷺浦に着くとこの地でこれから椿を使ってひと騒動起こしてやろうかという、まるで野武士のような風貌の志賀さんに案内してもらい、さっそく椿の山へ。
海から切り立つ山の谷で見た黒い椿の花はさすがに美しく、ただ黒いというより赤から紅とどんどん強くしていった黒、ちょうど深い血だまりが黒くしか見えないような色で、なるほど黄泉の黒という名がふさわしい。
僕はその日、自分で作った椿の花を一つ持参していた。
椿の木を彫り磨きマゼンダで染め上げた赤黒い椿の花。
山から下りて志賀さんのアジトでそれを取り出す。
今しがた拾ってきた花、黄泉の黒の横に並べると、
見ていた志賀さんの顔に興奮の色が広がって行く。
「同じ色ですね!」
そりゃそうです。だってこの花も椿で作ったんだから。
椿の花も葉も、メジロの花の色もこの作品の色彩は椿が本来持っていたものに、ほんの少し方向性を与えてやるだけで現前する。
鷺浦の港で僕は椿についてさらに二つの話を教わった。
一つは椿の受粉について、伊豆で椿について深く学んだ志賀さん曰く、椿の花の受粉が終わているかどうかは花弁につく傷を見るとわかる。
受粉の終わった花は必ず花弁のどこかにメジロの脚爪でつけられた傷がある。
初めて花弁に傷をつけられることを伊豆の地では破瓜と呼ぶこと。
今一つはメジロに関することだけど、藪椿の花の多くは下向きに咲く。
だから椿の花の蜜を吸うときメジロは花にぶら下がり下から花唇をのぞき込む形になる。
蜜をすい終わって花から飛び立つとき、メジロは花から地面に向かって身を投げる。
その姿は僕も何度か目にしていて、普通鳥は飛び立ちの時十分な加速を得るために脚で蹴り跳ぶんだけれど、柔らかな花弁を掴んで体を支えているメジロは、その方法が取れない。
だから飛び立ちに十分な加速を得るため下に落ち、十分な加速を得たところで羽ばたき飛んでゆくのだ。
黄泉の黒咲くこの谷でもメジロはチーと鳴き花咲く椿の木の中へと飛び込んでゆく。
メジロの気配を探して耳をすませば、ぼつっと音、椿の花が落ちる音が響く。
谷の暗さに目が慣れ、よく見るとこの谷、地面をを覆う数限りないような椿の花々。
役目を終え、まだ美しいまま落ち、朽ちて行く椿の花を見たとき、僕の中に一つの旋律が紡ぎ出される。
落ちて行く花、落ちて行くメジロ。
刹那玉虫厨子の捨身飼虎図が脳裏に浮かぶが、黄泉の名からの連想だろうか?
メジロ、鳥媒花、暖流、出雲、黄泉の黒、破瓜、、身投げする鳥、美しいまま落ちる花。
雪の中咲く黄泉の黒。
花と出会うメジロ。
メジロに破瓜を負う椿の花。
椿に溺れるメジロ。
身投げするメジロとそれを追い落ちる花。
飛び立つメジロ
飛び去るメジロと地に転がる椿の花。
芽立つ椿。
谷の暗がりの中に浮かんでは消える画。
一連の、ごく自然な営みの流れに、異種の恋、黄泉の
神話を携えて。
物語は始まった。
この物語をあなたのもとへ届けることができればと、今は切に思うのであります。